原告は起訴事実の一部が無罪になっただけで、残りの犯罪事実によって有罪の判決を受けているので、身体拘束を受けていた期間に対する補償をうけることはできないことから国家賠償訴訟を提起したものと思われます。
刑事裁判で無罪になったことだけでは起訴が違法になることはないという判断は、日本では1978年10月20日及び1989年6月29日に最高裁が、韓国では2013年2月15日に大法院が判決の中で述べています。
検事は有罪か無罪かを判断してもらうために裁判所に起訴することが仕事なので、結果として無罪と判断されたからといって直ちに起訴したことが違法にならないというのはそうなのでしょうが、そもそも罪となる事実がなかったにもかかわらず、そのような事実があると判断して起訴した場合は、少なくとも過失があるように思えます。
つまり、起訴事実は存在するが、それが刑法上の犯罪にあたるかどうかの判断が検察と裁判所で分かれるということはあるとしても、起訴事実が存在しないのに、検察の収集した証拠から起訴事実が認定できるかどうかの判断が検察と裁判所で分かれるということはありえないだろうということです。
確かに、裁判所が起訴事実の存在を認めなかったとしても、それは起訴事実が存在しなかったということではなく、検察官の収集した証拠からは起訴事実が認定できないというだけなのでしょう。起訴事実の存否は被告人しか知らないのですから。
以下は、判決の一部抜粋です。
地方警察官や検事は捜査機関として被疑事件を調査して真相を明白にし、収集、調査された証拠を総合して被疑者が有罪判決を受ける可能性がある程度の嫌疑を抱くようになったことに合理的な理由があると判断されるときには、所定の手続きによって起訴意見として検察庁に送致したり裁判所に公訴を提起することができるので、客観的に見て司法警察官や検事が当該被疑者に対して有罪を判決を受ける可能性があるという嫌疑を抱くようになったことに相当な理由があるときには後日裁判過程をとおしてその犯罪事実の存在を証明することに足りる証拠がないという理由でそれに関して無罪の判決が確定したとしても、捜査機関の判断が経験則や論理則に照らしておよそその合理性を肯定することができない程度に達している場合にのみ帰責事由があるといえる。
甲1号証、甲2号証、乙1号証から乙4号証の各記載によると、上の各無罪部分の被害者らは警察で被害事実に関して陳述したが、被害者らが法廷で陳述内容を覆したり、被害者らの陳述調書などが刑事訴訟法上の証拠能力を持たずに無罪が宣告されたことが認められる。上の認定事実のみでは被害者がらの陳述調書などに基づいて原告を起訴し、無罪部分に不服で控訴を提起した捜査機関の判断が経験則や論理則に照らして合理性を肯定できない程度に達しているといい難い。結局、捜査機関の業務執行に違法な故意、過失があったといえないので、原告の主張が理由がない。
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